ICHIRO Twitton-ton
                                                                                                                                                                                           
                                      



其のひゃくきぅじぅごぉ
栗があちらこちらに落ち、柿がオレンジ色になり出しました。
アケビも採り放題、その場で食べて種を放出。
庭には以前捨てた種から勝手に生えたカボチャが6つ、薄めに切って焼くとホクホクで美味。
田舎の秋は収穫の秋でもあります。
朝夕の寒暖差が大きく、今年もすでに薪ストーブが活躍中です。
2匹のワンコも幸せそう・・・。

其のひゃくきぅじぅしぃ
後日、島根県民会館で「〜見聞2017ジャパン×ナントプロジェクトの全貌〜プレビュー公演in島根」があり、
私たち家族3人もお伺いし、瑞宝太鼓と石見神楽の公演を観てきました。
フランス・ナント市ではこの2団体などが出演します。
石見神楽の演者も障害を持った人たちでしたが、見事に大蛇を操っていました。
瑞宝太鼓も私が作曲・指導した新曲「天地長久(てんちちょうきゅう)」を普段通りに落ち着いて演奏し、客席からは両団体に大きな拍手が起こっていました。
フランス公演が楽しみです。

其のひゃくきぅじぅさん
瑞宝太鼓にお伺いし、フランスで披露するための新曲を提供したのが1年前。
その指導もようやく終わり、こちらはまず一安心。
フランス・ナント市の現地で着る新しい衣装は妻の亜鷺 (あさぎ・みゆき)が担当し、納品。
メンバーに着付けをして集合写真を撮ると、フランスへの気合いも入り、一同皆やる気満々!!
衣装は南高愛隣会の職員の方たちにもおおむね好評でした。

其のひゃくきぅじぅにぃ
NYには2週間ほど滞在しましたが、時差ぼけがとれないまま帰国。
・・・と思っていたら、きっちり日本でもおかしい時間にうろうろガサガサ。
国際線に乗るキャビンアテンダントの方たちのご苦労、お察しします。
宿舎を一歩出ると人だらけのNYから、夜は真っ暗、野生動物がウロウロしている我が家へ帰還。
この究極のギャップがまたいいんです。
山では鹿が「キュイ〜ン」と鳴いています。

其のひゃくきぅじぅいち
初日は良い拍手をもらい、一安心。
今日は2日目、千秋楽。
終演後に私たちを出迎えたのは、ドキュメンタリー映画「幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜」の製作総指揮、細川佳代子さんでした。
「じしょうやさ〜ん!!」
客席から満面の笑みで手を振って近づいてくる佳代子さん、腰が抜けるほど驚きました。
「驚かそうと思ってだまっていたのよ〜。」
たまたまNYへ立ち寄ったのがコンサートの日だったらしく、ご友人の方々とお越し下さったのです。
NYの忘れられない1日になりました。

其のひゃくきぅじぅ
コンサート当日です。
アッパーイーストの宿舎からサブウェイに乗り、アップタウンで一駅、86丁目で下車。
そこからバスでセントラルパークを横断し、バスが停車したところが本日の劇場。
今日と明日の2日間公演です。
がんばろう。

其のひゃくはちじぅきぅ
地下鉄の車内に「臭い男」出現。
その臭気たるやものすごい!
ニヤニヤと不適な笑みを浮かべながらシートに寝そべっている。
明らかに自分の臭気は強烈と自覚し、周りの乗客の反応を愉しんでいるようですが、本当に大迷惑。
そして小さな偶然が。
カナル駅の帰りに地下鉄に乗り込むと、例の“臭い男”と再び遭遇。
すぐに車両を変えました。
すごいね、ニューヨーク、どんなんやニューヨーク?!

其のひゃくはちじぅはち
私のNY行きつけのマーケットは、地下鉄6番線のキャナルストリート駅から徒歩5分のところにあります。
中華街の一画にあるそのスーパーマーケットは、アジア系の人たちで一日中ごった返しています。
豚肉、牛肉、鶏肉、ネギ、チンゲンサイ、トマト、オレンジ、調味料など格安で購入し宿舎で調理しました。
NYは物価が高いといわれていますが、ここは絶対におすすめ!
夕方に行くと、ニワトリ一羽丸焼きが半額の5ドルで買えます。

其のひゃくはちじぅなな
博物館からの帰り道、グランドセントラル駅で、黒い大きなカバンがプラットホームにぽつんと置かれていました。
警官がやって来て軽く足でそのカバンを蹴っているところに、持ち主のおじさんが足早に現れました。
警官はものすごい勢いで彼を怒鳴りつけ、おじさんは謝りつつカバンを持ってそそくさと退散。
テロを警戒している最中、今のアメリカ社会の一端を見ました。

其のひゃくはちじぅろく
本番までに日にちがあるので、今日はアメリカ自然史博物館に行きました。
そのスケールの大きさに驚嘆!!
展示品が多く1日では到底見て回れないほど。
時差ぼけとの戦いは今日も続きます。
素晴らしい作品を前にどんどん無口になり、足が動きません。

其のひゃくはちじぅごぉ
翌朝、午前1時に起床。
時差ぼけ真っ只中のまま数時間が経ち、元気に日の出を楽しむ・・・ひえ〜。
昼食をとった後にぐっすり寝てしまい、時差調整は完全に失敗の巻。
夕方、家族3人でセントラルパークを散策。
紅葉が美しく、その中をジョギングしている人たち、平和だ。

其のひゃくはちじぅしぃ
NY公演、2013年から4年連続で来てしまいました。
タクシー利用でダウンタウンまでがいつものパターンでしたが、今回はJFK空港から地下鉄に乗ってみようということになり、
その結果、迷わず宿舎に到着できたという、やろうとおもえば誰でもできますが、プチ自慢。
毎年のことながらNYの人の多さ、建物の高さにうれしくなり、そんでもって自然が恋しくなればすぐ近くのセントラルパークへ避難。
今年も満喫させていただきます。

其のひゃくはちじぅさん
元宝塚歌劇団のダンサーで、現在はジャズダンスの先生と12年ぶりに再会。
お変わりなく、顔を突き合わせるとさっそく「舞台とはなんぞや。」的な話に熱が入り、
振付の使いまわし、人が振付けたものを真似するのは、そこそこの技術があれば簡単にできる、などの意見がありました。
今の和太鼓の世界も同じような…。
「あたし、後期高齢者よ〜。」を連呼する先生、お元気すぎて驚きの助。


其のひゃくはちじぅにぃ
「地道につまらないことをしろ。」とは 元横綱・隆の里、故・鳴門親方の格言。
日々の稽古のプロセスをおろそかにするな、妥協するな、ということも含まれていると思いますが、
それを持続、実行することは、なかなかできることではありません。
ましてや私は弱い人間ですから、なおさらですが、太鼓の基礎打ちの重要性はわかっていて、
太鼓ワークショップや太鼓教室の時など、指導時には、しつこいくらいリズムの反復練習をするようにしています。

其のひゃくはちじぅいち
ジョギング中に、近くの川の堰(せき)あたりに、オオサンショウウオがいるのを発見!
前々から生息していることは聞いていましたが、実際に野生の個体を見たのは初めてで、ちょっと興奮。
近年、外国種との交雑もあるそうですが、おおきな体をくねらせて悠々と泳ぐ姿は、古(いにしえ)のなんだかんだを感じさせる、なんだかんだ。
はい?! ……実はかなり興奮!!ふんふんっ。

其のひゃくはちじぅ
昨日、総理大臣官邸で「安倍総理と障害者の集い」が開催され、瑞宝太鼓がそのオープニングを飾りました。
演奏曲は、ドキュメンタリー映画「幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜」のために私が作曲・指導した「漸進打波(ぜんしんだは)」。
瑞宝太鼓・団長の岩本君はじめ、メンバーが真剣な表情で太鼓を打ち、副団長の高倉君がとてもいい表情で篠笛を吹いている様子が、
「首相官邸」 YouTube より「安倍総理と障害者との集い−平成2862日」(動画)」で流れていました。
直後の安倍総理の挨拶では「瑞宝太鼓の勇壮な演奏の・・・。」との言葉もあり、彼らの打つ太鼓が日本の中枢に響き渡ったのだと思うとうれしくなりました。
いい経験ができて、良かったですね。

其のひゃくななじぅきぅ
安倍総理とオバマ大統領が広島の地に立ち、核廃絶を訴える歴史的な演説をし、その後オバマ大統領は被爆者と対面。
その肩を優しく抱き寄せた映像を観た時、父の姉、つまり私の伯母が高校生の時に長崎で被爆したことを考えていました。
ずいぶん前、伯母に原爆投下直後の話を尋ねましたが、すぐに涙があふれて話せなくなったので聞くことをやめました。
この映像を観た伯母は、少しは心が癒されたことと思います。

其のひゃくななじぅはち
「大阪フィルハーモニー交響楽団」の公演を久しぶりに聴きに行きました。
新人指揮者の受賞記念コンサートということで、今回は3人の指揮を大フィルが受けて立つ…的な催し物。
彼らはまだプロではありませんので、手癖のつかない新鮮な指揮と演奏が終わった後の少しはにかんだ様子などが、観客をほっこりさせてくれました。
指揮者によって、オーケストラから出てくる音が違うということも、実際聴き比べてわかりました。
大学時代のひとつ上の先輩が、正団員として演奏しているのを懐かしく観ました。

其のひゃくななじぅなな
「和太鼓はぐるま」の公演が終わり、出演全員でお客様をロビーでお見送りしましたが、目頭を押さえている方が多かったのが印象的でした。
坂岡さんの講演に加え、「和太鼓はぐるま」の力強さだけではない、そこに至るまでの更正の道を経ての太鼓演奏に観に来られた方々が感動されていたのが伝わってきました。
公演後に「はぐるまの家」OBも何人か駆けつけ、裏方で汗を流している姿がありました。20数年ぶりに私に声を掛けてくれた「はぐるま」の皆さん、本当にありがとう!

其のひゃくななじぅろく
「はぐるまの家」代表の坂岡さんは、少年刑務所や鑑別所を出所した子どもたちなどを「はぐるまの家」に招き入れ、寝食を共にし、彼らに日常的に和太鼓を打つ機会を与え、
更生の道を指南されている方です。瑞宝太鼓が所属している長崎県の南高愛隣会は、知的発達障がいを持つ累犯受刑者の出所後の受け入れをしていますが、

「はぐるまの家」も同じような活動をされていて、そのどちらにも関わることができたのは、私のこれからの生き方にも意味があることだと思いました。
この2つの団体に共通していることは、「愛を持って受け入れる」ということ。世間が見る目はおそらく近づきたくない人、その人たちを更生させ成長させる、その活動を何十年も続ける。
よほど信念がないとできる業ではありません。

其のひゃくななじぅごぉ
1993年に石川県松任市(現・白山市)で行なわれた「壱刻壱響祭」(後の「白山国際太鼓エクスタジア」)の第1回目の公演で、私が作曲・指導、演出をした時に参加してくれたのが「はぐるま太鼓」でした。
当時、福井県の「はぐるまの家」に泊まらせていただきながら太鼓指導したことを思い出します。
その後、会う機会はなかったのですが、今回40周年の節目のコンサートに声を掛けていただき、皆さんとの懐かしい再会となりました。
当時メンバーだった人が、20年以上経った今も「和太鼓はぐるま」で太鼓を打っていて、
今回の公演ではそのバチさばきに鬼気迫るものがあり、年齢をまったく感じさせない素晴らしい大太鼓の一本打ちを披露してくれました。

其のひゃくななじぅしぃ
福井県越前市で行われた「和太鼓はぐるま」の40周年記念コンサートに家族3人でゲスト出演し、鬼太鼓座(おんでこざ)の先輩である笛・太鼓奏者の高野巧さんと共演しました。
巧さんの奥様である元鬼太鼓座の座員であった春枝さんも来られていて、当時の懐かしい話など興味深くお聞きしました。
私が鬼太鼓座にいた頃、当時の代表だった田(でん)さんから春枝さんの話を何度も聞いていたので、今回お会いできて感激でした。

其のひゃくななじぅさん
障がいを持つ子どもたちが自分の持っている器をいっぱい使って太鼓で表現し、さらにお母さんたちも満面の笑顔で太鼓を打っているのを見た時、
私がこれまで指導してきた「舞台上のルール」などこの公演ではほぼ当てはまらず、何が起こるかわからないワクワクする演奏は、あっという間でした。久しぶりに心に残る舞台に出合えました。

其のひゃくななじぅにぃ
兵庫県西宮市で活動している太鼓グループのコンサートに行ってきました。ダウン症や知的発達障がいを持つ子どもたちとその親御さんが和太鼓を元気に打ち鳴らしていました。
公演中、一人の女性が(おそらく障がいにより太鼓を打つことができないのですが) しっかりと正面を見据えてメンバーと同じ衣装を着て舞台中央に立っていました。
他のメンバーの演奏を見守るかのようなその姿は、さながら能の翁(おきな)のワンシーンのようで、この“強烈な演出”に私はしばし圧倒されました。

其のひゃくななじぅいち
田舎に住んでいて、暖かくなってきた雨の日の夕刻。この時期になると嫌なのは、カエルが大量に道路に出てくること。
その時は、車のライトをハイビームにして、時速20キロ以下で車を運転しながらカエルをよけよけ。それでも通過寸前にピョンっと…。翌朝、カラスがお掃除しているようで…食物連鎖。

其のひゃくななじぅ
ゴールデンウィークに突入。夕方、自宅から出て空を見上げると、カゲロウの大群が飛び回っていました。この時期、いつもの光景です。
体の3倍の長さほどの尻尾、体より長い触角、羽はトンボのそれのよう。そして短い寿命。やがてゲンジボタルが飛び始めます。

其のひゃくろくじぅきぅ
ずいぶん前になりますが、南高愛隣会の田島良昭・前理事長より「居場所を探して〜累犯障害者たち」(長崎新聞社報道部・累犯問題取材班・編著)という本をいただきました。
知的障がいを持つ人が何度も軽微な罪を犯して捕まり、実刑判決が出る中、田島さんは彼らを刑務所ではなく民間の施設に迎え入れ、
社会復帰の道を作る努力をされていることを知りました。こういった活動は誰もができることではありません。

其のひゃくろくじぅはち
瑞宝太鼓の団長・岩本君は、会うといつも私のモノマネをしてくれるので、それを見て、「あっ、そんなんしてたんや。」と、自分のクセを確認できます。
「なくて七癖、あって四十八癖」と言いますが、岩本君、今度もよろしく。もっといっぱい見つけて。

其のひゃくろくじぅなな
瑞宝太鼓のメンバーでダウン症の森田君、「時勝矢さん、修行に行かせて下さい!弟子にして下さい!!」と言われ、「ここで頑張るのじゃ!」と言うと「はいっ!!」
そして練習後の体から湯気が出まくっている森田君と、それでもお約束のハグ。……激しい稽古でしっかり湿っておりました()

其のひゃくろくじぅろく
県内のダウン症の子供さんを持つ親御さん達が、和太鼓教室の見学に来られました。ドキュメンタリー映画「幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜」を観ておられましたので、
ロケ地になったこちらの稽古場や自宅横の川を見ては「そうそう、此処ここ。」などと小さくうなずいていました。

其のひゃくろくじぅごぉ
香川県高松市にあるイサムノグチ氏の芸術作品を見に行く機会がありました。在りし日のノグチ氏と一緒に制作に携わった泉さんに案内していただき、庭園を一時間ほどかけて散策しました。
雨に濡れた巨大な石の作品は、周りの景色とひとつになり、美しく光り輝いていました。
湾を一望できる小高い丘に登ると、たまごの形をした石の作品があり、尋ねるとそれはノグチ氏のお墓でした。心に残る御持て成しをしていただいた泉さん、池田さん両氏に感謝します。

其のひゃくろくじぅしぃ
瑞宝太鼓の指導のため、長崎へ。飛行機の機内誌を開くと、そこには南阿蘇村の特集が組まれており、トロッコ列車が新緑の山の中を走る写真と震災前の美しい熊本城が載っていました。
稽古を始める前に、先日の熊本地震で亡くなられた方々を想って、みんなで黙祷しました。

其のひゃくろくじぅさん
映画「大脱走」を小学生の時以来、久しぶりに観ました。スティーブ・マックイーンがバイクで逃走するシーンに憧れて、中型二輪の免許を取得したことを思い出します。
暖かくなったので、山菜を探しにオートバイで出掛けます。

其のひゃくろくじぅにぃ
春になり、育てている原木シイタケが出てきたので、いろいろと調理していただいています。シイタケは血流を良くするんだとか、その効果に期待したいです。
ここ10年くらいスーパーでシイタケは買っていません。今の時期、採っても翌朝にはすぐに生えてくるので、毎日食べ続けることになりますが・・・飽きないんだなあ。

其のひゃくろくじぅいち
隣町へ抜ける県道が、大雨による土砂崩れで長く通行止めでしたが、ようやく通れるようになり、買出しへ。途中、道路をふさぐようにしていた大きな角のシカと遭遇。
私の車の前をゆっくりと移動し、森の中へ消えていきました。帰りには小鹿が車の前を走り続け、さながらサファリパークのようでした。
とは言え、鹿が増えたことによる農作物の被害がすごくて、地元の皆さんはたいへん。野生の動物との共存、これからの課題ですね。

其のひゃくろくじぅ
「冒険ダン吉大遠征」と「冒険ダン吉無敵軍」を買って読んでいます。昭和10年頃発行された本の復刻版です。
開くと、そこには私の大好きな旧字体が溢れ、挿絵がレトロでもうたまらん!ダン吉が舟で流され、南の島に漂着し、やがて王様になるというあらすじ、私の中で時代が逆行していく…。

其のひゃくごじぅきぅ
和太鼓教室の生徒さんとレッスン前に少し雑談。私:「最近、鹿が増えて困りますよね〜。」 生徒さん:「えっ、近所に鹿はいませんよぉ。」
話題を変えて・・・私:「桜が満開で本当にきれいですね〜。」 生徒さん:「・・・もう散ってますぅ。」 私:「そうですか〜。」 ここは山の中、市内とのタイムラグが…。

其のひゃくごじぅはち
私と同じ「鬼太鼓座(おんでこざ)」出身で、現在は「AUN」、「AUN J クラシック」として活動している弟の公平君と奥さんが我が家に来ました。
3年ぶりの再会です。まだ詳しい内容は言えませんが、あることの相談でした。久しぶりに会って、いろんな話に花が咲きました。

其のひゃくごじぅなな
翔子さんと講演後に話す機会があり、私が太鼓奏者だと言うと、翔子さんは私の目を見ながら太鼓を叩く仕草を長〜くした後に、一言、「太鼓、がんばりますっ!」
「がんばってください?!」  いえいえ、「書道がんばって下さい!!」

其のひゃくごじぅろく
宝塚市で、ダウン症の書家・金澤翔子さんによる席上揮毫とお母様の泰子さんの講演があるというのでお伺いしました。翔子さんは「共に生きる」という文字を、太い筆で見事に書き上げました。
泰子さんの講演も素晴らしく、若い時に幼い翔子さんとともに何度も死のうと思った話などは鬼気迫るものがありました。
講演が終わった時に、突如私に指名があり、皆さんの前でご挨拶することに。映画の効果でした。

其のひゃくごじぅごぉ
瑞宝太鼓に参加している女性のメンバー。毎日がんばって太鼓を練習していますが、太鼓の稽古の休憩時間に、ピョンピョン飛びながら私のところに来て、自分が描いた絵を見せてくれました。
それは、メンバー全員の顔でした。多彩な色で細かく塗られていて、それが不思議な世界を作り上げていました。
知的発達障がいを持つ人のフィルターを通すと、このようになるのかと、ただただ感動しました。私がいつまでもその絵を見ている横で、彼女はさらに飛び上がって笑顔を振りまいていました。

其のひゃくごじぅしぃ
5年前に初めて彼らに会った時から比べると、格段にリズムがしっかりしたように感じます。長時間の単調な私とのリズムのやり取りにも、集中力が途切れず、
複雑な16分音符にも対応できるようになっていました。楽譜もきちんと読めるようになり、その上で今回の新曲に向き合ったので、とっても早く仕上がりました。

其のひゃくごじぅさん
稽古が始まり,基礎練習の後に新曲の譜面が配られると、メンバーからは徐々に笑顔が消え、これまで見たことのないギラギラした目をし始めました。
複雑な掛け合いの演奏、音の強弱の細かい指定など、すぐには演奏することが出来ない中、彼らが真剣に取り組んだことで、2日間の稽古が終わるころには、見事に演奏することができました。
次回の稽古がさらに楽しみになってきましたね。

其のひゃくごじぅにぃ
瑞宝太鼓の稽古場に着くとすぐに、ダウン症のメンバーのハグが待っていました。外国映画で出てくるような、それはそれは熱い熱〜いハグでございました。
今回の“新曲”は、メチャメチャ難しいぞ!がんばって下さい。

其のひゃくごじぅいち
瑞宝太鼓の新曲の作曲・指導のため、久しぶりに長崎・雲仙に行ってきました。前日に長崎は記録的な大雪で、空港にはいくつもの雪の山ができていました。
長崎市街地は、さながら雪国を走っているようで、珍しい大雪にうれしくなって作ったのでしょう、あちらこちらに雪ダルマがありました。

其のひゃくごじぅ
連日、テントウ虫が冬篭りの場所を探してブンブン飛んでいます。この家が気に入ったらしく、隙間を見つけては集団でもぐりこんできます。
この状況は今では珍しい光景なのだと以前テレビで言っているのを見ましたが、こちらは大迷惑。窓を開けると、バラバラとテントウ虫が落ちてくるのですから。
それに、ちょっとクサイ。カメムシもどこからともなく出現。この時期、テントウ虫とセットです。

其のひゃくよんじぅきぅ
黒枝豆の季節になりました。となりの篠山市では黒豆の販売を解禁したそうです。まるで、ボージョレーヌーボみたい。
「今年は10年に一度の枝豆の当たり年となりました!!」みたいな感じでいくのでしょうか?大好きなので、さっそく買っていただきます。

其のひゃくよんじぅはち
NYに行く前は暑かったのに…と、夜遅く温度計を見ると8度。10月初旬なのに、えらく寒なりました。外から薪を持ってきて、ダルマ・ストーブに放り込み、火入れ式。

其のひゃくよんじぅなな
世界の中心部、大都会NYから、緑だらけの所へ戻って来てしまってどうしよう…。とりあえずマルコにメールでも入れるか。
送ると、マルコからローマ字で返事が返ってきました。いつものごとく、謎解き不思議メール。来週にはもうNYを離れて外国へ行くそうです。

其のひゃくよんじぅろく
そうそう、思い出しました。帰国直後、成田空港で「YOUは何しに日本へ?」の収録をしているところを見掛けました。
到着後の外国人に声を掛け、密着取材OKだったらそのまま撮影クルーがついていく番組、大好きです。

其のひゃくよんじぅごぉ
帰りの空港では機体トラブルで3時間半の遅れ。ようやく到着した成田空港では油漏れの機体が滑走路に停車している、とのことで約2時間の遅れ、一日以上かけて先ほど帰国しました。
今はフワフワ、クタクタ、どのタイミングで寝たらいいかわからない。

其のひゃくよんじぅしぃ
昨年に引き続き、タイムズスクエアでの太鼓ワークショップも楽しく終え、その後、6種類のビールが飲めるという、スタジオ近くのチョッとばかりお高いお店にマルコが連れて行ってくれて、
TAIKOZAのメンバーと最後のNYの夜を楽しみました。私の誕生日も祝ってくれて、良い思い出を作れました。来年も来られるといいな、NY

其のひゃくよんじぅさん
コンサート終了後、18年前にヨーロッパの劇場で私の演奏を観た方や、N.Y.で上映されたドキュメンタリー映画「幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜」を観た方が、
声を掛けて下さったのはうれしかったです。

其のひゃくよんじぅにぃ
TAIKOZAのコンサートのゲスト出演、初日と2日目も無事終了。両日とも温かい拍手とオールスタンディングでした。気の合ったメンバーと共に舞台に立てる喜びは、ひとしおです。
NY3年目ですので、顔見知りの人たちが今年もコンサートに足を運んでくれました。地元で活動している複数の太鼓チームの人たちにも会えて、終演後に良い交流ができました。

其のひゃくよんじぅいち
深夜の静けさを打ち消すパトカーのサイレン。すわ事件か、事故か、火事か、犯人は?!そして眠れない、ここはNY。時差ぼけネタで、ここまで引っ張ったっ!

其のひゃくよんじぅ
2年前、NYから帰国した3日後には演奏のため、タイに渡航した時を思い出します。もうどこの時間がどうなっているかわからないまま、現地での公演は終了。
胃が弱っているところに激辛料理を体に押し込んだせいもあって、帰りのチェンマイ空港では高熱を発しダウン寸前。あ〜、時差ぼけだけは、私にとっては永遠の天敵。
眠くなくても横になり、目を閉じてジっとしておくべし…それができなくて、今も起きてしまっているのです。シャキ〜ン

其のひゃくさんじぅきぅ
NY滞在中、何度も食材調達のお世話になったキャナルストリートの中華街に今回も行きましたが、いつも利用していたスーパーマーケットがなぜか見つからず。
ようやく見つけると、実は駅のすぐ近くだったりして。これも時差ぼけのせい?帰りの地下鉄では眠さのピークで意識混濁、明日が公演ですが、おいおい大丈夫か!
今?午後2時ですが、日本時間では…。「日本は何時?」は、もうやめましょう。

其のひゃくさんじぅはち
時差ぼけで苦しんだ昨年のNY、とうとう人生で初めて睡眠薬を服用したのでした。その効能はものすごく、朝までしっかり眠れましたが、そのあと腰が抜けたようになり、一日中アウト。
アメリカの薬は強いようで、それ以来使っていませんが、時差ぼけとの戦いは続く。セントラルパークを走り回って疲れて寝るか。(走りませんでした。)

其のひゃくさんじぅなな
やはり強烈な時差ぼけを背負ったまま、うだうだしているうちに夜は明け、東の空に見事な朝焼けが出現。嗚呼美しい! そして眠れない!! ここはNY!!!

其のひゃくさんじぅろく
空港に到着すると拳銃、自動小銃むき出しの警察官や兵士が多数警備にあたり、物々しい空気。この期間、NYにはローマ法王、プーチン大統領、習近平国家主席、
日本の安倍晋三首相までもが訪れるということで、”至上最強の警備”。そんな中、宿舎に到着。今こちらは午前
3時前ですが、こうやって目がランランとしつつ、パソコンの前にいる私は、
どこで時差ぼけをなおすか、それか一週間後には日本なので、このままいくか。まぁ、とりあえず寝ましょう。

其のひゃくさんじぅごぉ
マルコ率いる「TAIKOZA」の公演にゲスト出演のため、今年も家族3人でNYへ。意気揚々と出発したまではよかったのですが、成田空港からの出発便が2時間半遅れることになり、がっくり。
なんとなしに数日間日本で時差調整をしていたためか、待っている間に急に眠たくなり、眠気をひきずったまま、機内で赤ワイン飲むと完全に熟睡。
12時間のフライトが34時間に感じたほどでしたが、それって実は時差調整“失敗”?

其のひゃくさんじぅしぃ
和太皷教室の生徒さんがレッスンに来て「今朝、車を運転していたら、熊と衝突した。」と言うので、「どこで?」と聞くと、ここから1キロ先の栗林の辺りだと言うので、もうビックリ!!
車のナンバープレートには熊らしき黒い毛が付着していました。低速走行だったので、そのまま逃げてしまったらしいのですが、それにしても近すぎ…。

其のひゃくさんじぅさん
NYのマルコ・リーンハードと、一年ぶりに会いました。今年も「TAIKOZA」のゲスト出演が決まり、気が早いのもあってさっそくNYに持っていく日本食を買い込んだところ、
ここ数日でそれらに手をつけだして…。このままでは、もう一度買い揃えなくては、と苦笑い。

其のひゃくさんじぅにぃ
大阪・神戸総領事のパトリックさんが、日本での3年間の任期が終わり、帰国されることになりましたので、そのお別れ会にお伺いしました。
私たち家族
3人での演奏とワークショップのために持っていった和太鼓を一緒に叩いてくださり、大盛況のうちに会は終了。
滞在中、何度もお会いしていましたので寂しい気持ちはありますが、新しい赴任先で気持ちも新たにがんばっていただきたいと思います。


其のひゃくさんじぅいち
こちらは被害がなかったと思っていたのに、後に回覧で市内各所で土砂が流出し道路は通行止めになり、実際に近くの山が崩れているのを確認すると、もう他人事ではないと愕然としました。
大好きだった川の流れが好きでなくなり、山の尾根や谷を見て、土石流の可能性を考えるようになってしまいました。
被災者の方たちには心のケアと健康、未だ行方不明の人たちの一刻も早い発見を祈ります。

其のひゃくさんじぅ
台風11号一過、自宅の横を流れる川は溢れんばかりに増水したものの、何事もなく平穏無事に今がありますが、一山隔てた丹波市では壊滅的な被害、死者も出てなすすべもない状況。
さらには広島を襲った未曾有の豪雨災害の映像を見て言葉も出ず。

其のひゃくにじぅきぅ
下鴨神社の古本市に行ってきました。気温34度の猛暑の中、それでも木陰が涼しく感じられ、ずっと欲しかった本があった!ちょっとうれしい今日の時。ゆっくりじっくり読み倒します。

其のひゃくにじぅはち
台風11号が真上を通過、その時自宅の大木は右へ左へ大揺れ。真横を流れる川は、あと数センチで溢れんばかりの勢い。家にいると「ゴッゴッ」と川の中で石同士があたる音が響いて。
道路は川のようになり、足を浸すと気持ちよくって…。いやいや、そういうことじゃなくて。

其のひゃくにじぅなな
アジサイも枯れ、ホタルもいなくなり、いよいよアブの飛ぶ季節となりました。昨日、今年一匹目のアブ発見。それが目の前の壁にとまったので素手で叩き落そうとしましたが、失敗。年取ったか?!

其のひゃくにじぅろく
以前買ったボラ釣り用の三本針が出てきたので、それに発泡スチロールを引っ掛けてから家のすぐ近くにある池に針を垂らし、絶妙なる手の動きでチョンチョンと水面をたたくと、
すぐに大きなウシガエルが飛びつき、釣り上げたところに、犬の散歩中の近所のおばちゃんがそれを見て「あんた、それ食べるん?」・・・逃がしましたわ。

其のひゃくにじぅごぉ
練習後、稽古場の前を一匹のタヌキが目の前を横切ったので、後を追いかけてみると、すぐに立ち止まり目が合いました。
クンクンと鼻を動かす仕草がとてもかわいいので、一歩近づくとものすごい威嚇。それでこそ野生!

其のひゃくにじぅしぃ
ひと山超えて買い物へ。途中、鹿に何度か出くわしましたが、その数5頭。以前はサファリパークに来たかのように驚いたものでしたが、慣れた今は、「ハイハイ、のいてよ。」そんな感じ。

其のひゃくにじぅさん
最近、朝早く散歩すると、キジも散歩しています。ちなみに、ここ三田市のマスコットキャラクターはキジの「キッピー」。
時々、市内各所に出現しますが、認知度は今ひとつ。くまモン以上になるには、もうひとひねり、いやふたひねり必要かも。パタパタします。

其のひゃくにじぅにぃ
畑には鹿除けのために付けられた電流線。夜は人にその危険を知らせるため、赤く点滅していますが、それにめがけて勘違いしたホタルが…。寄って行ったらあぶないよ。

其のひゃくにじぅいち
今年もホタルの時期となりました。毎夜8時前になると、1匹、2匹、ゆるりと飛び立つホタル。
その日は県内に“強風注意報”が出ていて、予想通りホタルは風にさらわれ、見えなくなってしまいました。おやおや。

其のひゃくにじぅ
知的発達障がいを持つ「瑞宝太鼓」のメンバーの“得意技”は、ズバリ“集中力”。以前、ドキュメンタリー映画で初めて彼らと関わった時もそうでしたが、稽古が続く続く!
続きすぎて、こちらが負けそうになる時もありましたが、みんな頑張って太鼓を打ち込みました。                                                                                  

其のひゃくじぅきぅ
「瑞宝太鼓」の指導で、久しぶりに長崎の雲仙にお伺いしました。稽古場に到着すると、以前より倍に増えたメンバーの皆さんが、ザワザワと出迎えてくれたのでビックリ!
コロニー雲仙の人たちが作った美味しい手作りのお弁当をいただいた後、それはそれはにぎやかな稽古が始まりました。

其のひゃくじぅはち
フィギュアスケートのリプニツカヤがフリープログラムで使用した曲「シンドラーのリスト」。メロディがあまりにも美しすぎて、ただいまピアノで練習中。微妙な和音の変化がたまりません。

其のひゃくじぅなな
アメリカ人の友人Wさん。長身でハリウッドスターのような面持ちの彼は天気予報が大好き!久しぶりに会ったら、やっぱり天気の話をしていました。
「今はたぶん14℃。明日は雨ね。」そう言った後スマホで確認し、「ほら。」みたいなドヤ顔。実は私も天気予報フェチなので、なんか気が合うんだなあ。

其のひゃくじぅろく
先日「沖縄古典舞踊」を鑑賞しましたが、舞の動きがエイサーのような激しいものではなく、まるで日本の能を思い起こすかのようなゆったりとした動きであったり、
インドネシアのガムランに似た音楽などは、その昔“琉球王国”だった頃、海洋貿易により異国の文化の影響も受けたのだろうと感じました、…と真面目発言。

其のひゃくじぅごぉ
神戸で行われた、進藤桃子さんのピアノ独奏会を聴いてきました。
プログラムには、私の好きなドビュッシーやショパンなどの曲がありましたが、超絶技巧の難曲に加え、演奏する彼女の豊かな表現力に感動しました。心に残る“音”に出合いました!

其のひゃくじぅしぃ
今年のこちらの「春分の日」は、暖かい日差しが降りそそぐ中、なぜか大雪が降り続く、そんな日でした。
家の近くではキジのつがいが散歩し始め、そろそろウズラの親子も出てきそうですが、こんな気候で動物たちも戸惑っていることでしょう。
ところで、春になると作曲欲がフツフツと沸いてきて、最近では2日に1曲くらい作っている。短いピアノ曲です。トルル…♪

其のひゃくじぅさん
昨年、タイに演奏しに行った時のこと。地元の人が利用するような料理屋に行き、“激辛フード”をしっかりと腹におさめたところ、数時間後、胃のあたりの激痛に苦しみ、もうイヤヤ。
ソウルでもキムチを食べすぎて、やっぱり同じ症状に。ちょっとは学びませう。もう、わこう(若く)ないし。

其のひゃくじぅにぃ
ウグイスの声が聞こえだしたので、家の周りを見るとふきのとうが芽を出していました。採らずにそのままにしておくと、わたぼうしをつけて種が飛んで行きます。知ってました?

其のひゃくじぅいち
ウグイスが鳴く練習を始めました。最初から「ホ〜ホケキョ」とはいきません。「ほ〜ほけっ…」「お〜おけこっ」桜が咲く頃には上達しているでしょう。

其のひゃくじぅ
我が家の薪ストーブ、突然穴が開き壊れてしまいました。その日のうちに、近くのホームセンターでおニュウを購入。(田舎です。売っているところがすごいでしょ。)
以前のものよりも重量が10キロ重く、設置に少し手間取りましたが、無事完了、一安心。3月になりましたが、まだまだ春は遠い今日この頃でした。

其のひゃくきぅ
ソチ冬季オリンピックで浅田真央さんがフリーの演技で使用した曲は、ラフマニノフのピアノ協奏曲でしたが、

昨年、マルコ・リーンハードの尺八と私のピアノで演奏した曲が、ラフマニノフのヴォカリーズでした。「だからなんやねん。」ですが、単純にうれしい・・・みたいな。

其のひゃくはち
1994年に千葉の幕張メッセで行なわれた世界フィギュアスケート選手権(1994 World Figure Skating Championships)で優勝したのが、佐藤信夫コーチの娘さんの佐藤有香さんでした。
そのオープニング・セレモニーで、氷の上に38寸の大太鼓を設置し、演奏したことを思い出します。あれから20年も経つのかぁ。

其のひゃくなな
ソチ冬季オリンピックが閉幕しました。女子フィギュアスケーター浅田真央さんのフリーの演技は、特に心に残るものとなりました。
佐藤信夫コーチと2人で一からスケートを見直し、フリーではそれが見事に開花しました。まさに“記録”より“記憶”に残る名演技に感動!!

其のひゃくろく
ソチ冬季オリンピック。テレビの「まもなく始まります。」その言葉を信じ、がんばって寝ずにいたら、ものすごく夜中になってしまいました。そして競技直前に、寝てしまいました。残念!

其のひゃくごぉ
ソチ冬季オリンピック。地元ロシアの大応援団に負けじと、日本だって観客席から熱い応援を繰り広げています。
チョンマゲ!キンキラ衣装に日の丸ハチマキ、ゴールドの扇子ブンブン!!その応援パターン、当たり前過ぎる!う〜ん、もうひとひねり、もぉぅ〜ひとひねりっ!!!

其のひゃくしぃ
梅干が好きで、よく食べています。でも塩分の取りすぎになるので、最近は控え目にしています。あっ、このところ風邪をひいてない。梅干健康法。

其のひゃくさん
女子カーリング予選。解説者のわかりやすい説明が、なかなか頭に入ってきません。
ルールをいまいち理解できないまま、それでもひたむきな選手の目を見ていると、自分も戦っているような気になって…。がんばれニッポン!

其のひゃくにぃ
大阪府高石市にある臨海スポーツセンターのスケートリンクでは、ソチ五輪男子フィギュアに出場していた町田、高橋両選手が練習していたそうです。
実家から近かったので私もよくそこに滑りに行っていました。もちろん遊びでですよ。クルクル回れません。

其のひゃくいち
女子カーリングの予選リーグが始まりました。映画「幸せの太鼓を響かせて INCLUSION」の撮影時にもカーリングの話題がでたのを思い出します。早いものであれから4年経ったんですね。

其のひゃく
昨日は大雪、今朝は気温が上がり、雪解け水は緩やかに川を増水させています。雪の上には鹿の足跡が点々とあり、それは竹薮へと続いていました。日差しが雪に反射して眩しい今日この頃です。

其のきぅじぅきぅ
いずこも同じ大雪となった日本列島、こちら三田も草深きならぬ雪深き、まるで水墨画を見るようなそんな景色となり、
外を歩けば膝下まである長靴が雪に埋まってしまい、除雪車が
2度、大きな音をたてて通過していきました。ソチ冬季オリンピック開幕!

其のきぅじぅはち
一昨日ハチミツ持って訪ねてきてくれた友人は、ハワイ島の山本君でした。30年近く前に「鬼太鼓座」で出会って、そしていつしかそれぞれの道を歩んで、いつもある日突然フラリとやってくる。
めちゃくちゃうれしいです!!そやけど、いきなりその日の朝8時に電話で「モシモシ、いちろうさん?いま大阪やねん。今からそっち行くわ。」
家におれへんかったらどないすんねんな。…でもそこが山本やねんな。

其のきぅじぅなな
なんでこんなに寒いのか!?“立春”とは名ばかりで、降り続く雪で道路は真っ白になって、ノーマルタイヤの車が例年のごとく、スリップして田んぼに落ちているかも。
我が家のダルマストーブは全開で大活躍!

其のきぅじぅろく
その原木シイタケの生長が悪く、今年は少ししか採れません。前の年はこれでもかというくらい採れましたので、食べて食べて食べまくってとうとう飽きてしまった…。
なんて今となってはぜいたくな話となりましたが。ここ数年、風邪は引いていません。シイタケの効能か。


其のきぅじぅごぉ
アメリカから親友が我が家を訪ねてくれました。お土産は、自宅の庭で採れたハチミツ。ただのハチミツちゃいまっせ。マカダミアンナッツの花の蜜らしいです。
ビンのふたを開けると、独特のいい香りがしました。お返しに原木シイタケをあげました。

其のきぅじぅしぃ
私もこのシリーズで和太鼓のソリストとして関西フィルと共演させていただいたことのある藤岡幸夫・指揮、関西フィルvs山下洋輔の公演を観てきました。
ピアノを弾く山下さんの凄まじいリズムに感動。

其のきぅじぅさん
今年も「別府大分毎日マラソン」が始まりました。以前、このあたりを車でよく走っていましたので、なつかしい。
ところが、今年は霧がすごくてランナーがよく見えない。温泉の湯気のようで、なんだか幻想的です。

其のきぅじぅにぃ
今日は朝から雨、しかし気温はぐんぐん上がり、啓蟄よろしく、出てくるのを間違った虫たちがチラホラ庭を飛んでるのを見かけました。
予報では、今後真冬の寒さに逆戻りするらしいです。さあ、虫たちよ耐えられるか!!

其のきぅじぅいち
猪子寿之さん紹介のシンガポールの植物園、なんじゃこりゃ?!行ってみたい!自分の目で見てみたい!!

其のきぅじぅ
山間に住んでいますと、毎年春分の日を境に、確実に季節が春に移行していく様子が感じとれます。この頃になると家の周りにふきのとうがたくさん出てきますが、
それを摘んで丸ごとてんぷらにしたことがありました。残念ながら、苦くて食感も悪く食べれたものじゃなかった。今は観賞用として、ただただ眺めています。もうすぐ春だ〜!

其のはちじぅきぅ
今年はノロウイルスが猛威をふるっていますが、私の愛読書「普救類方」享保14(1729)刊には、その対処療法らしきものが載っています。
「常に時々酸水
(すきみず)を吐くに」頭(かしら)の垢(あか)を大豆の大きさほど取り、酢にて煎じて飲みてよし。う〜ん…。

其のはちじぅはち
毎年のように、この時期になると家の真横を流れる川に瑞宝太鼓の副団長高倉くんが、「みそぎ!」と言いつつ飛び込んだことを思い出します。
よう(よくぞ)飛び込みなはった!ちなみに、私は毎年7月に入水します。

其のはちじぅなな
「♪ゆ〜きやコンコン、あ〜られ〜やコンコン、ふってもふっ…」あっ、車が戻ってきた。「ウォ〜〜〜ン、クォ〜〜〜ン」 やっぱり鳴く君たち、思わずそうなってしまうねんな。

其のはちじぅろく
「♪ゆ〜きやコンコン、あ〜られ〜やコンコン、ふっても…」灯油を売りにくる車のスピーカーから流れるこの歌に、近所のワンコたちがいっせいに反応。
ウォ〜〜〜ン、クォ〜〜〜ン」 な〜にがそんなに悲しいねん?!

其のはちじぅごぉ
大寒も過ぎましたが、我が家のダルマストーブは部屋を暖めてくれています。15分、おきに薪をくべる幸せかな、字余り。

其のはちじぅしぃ
今朝のこちらの最低気温、−8度。レトロで大きなブリキのバケツに半分ほど入っていた水、3センチどころか完全に凍ってしまいました。
大阪市内ではそこまで寒くないのに、なぜに三田はこないにも寒いのか!!そのメカニズム知りたいっ!

其のはちじぅさん
「都内は今季最低の気温を記録し、池には薄く氷が張りました。」と今朝のニュース。
「時勝矢さん宅では今季最低の気温を記録し、バケツに張った氷の厚さが3センチを越えました…。」 誰か取材してくれい!

其のはちじぅにぃ
回覧板に、「近くで熊の目撃情報があったらしい」ということで、「一人で山に入らない。残飯を山に投げない。」等、注意書きがありました。
先日このあたりの最低気温が−7度になったのに、いまだに冬眠していないのはどうして?明日は大雪になりそう、と天気予報。早く冬眠して!!

其のはちじぅいち
今年も我が家の薪ストーブ全開!冬なのに、サボテンが異常な成長をし続けています。ある日、1匹のカメムシがブンブン飛び回り、かわいそうに燃え盛る薪ストーブの上に落下。
その直後もう耐えられない悪臭が部屋中に充満。ぶっくりすた(びっくりした)

其のはちじぅ
あけましておめでとうございます。年が明けた一月一日未明、兵庫県篠山市の神社に出向き、そこで行われた薪能を観て、幼い時分に私の大叔父が大鼓(おおつづみ)で出演する
山本能楽堂での能を観たことを思い出しました。月日を経て、わからないながらも能役者の演じる一つ一つの仕草に見入っている自分がいました。

其のななじぅきぅ
長時間演じ続ける体力と、観続ける集中力の戦いがありました。南座を出ると、師走の街を行きかう人たちの笑顔が。来年も良い年をお迎え下さい。

其のななじぅはち
南座のロビーには、贔屓の役者さんにそれぞれ舞妓、芸妓さんからの胡蝶蘭や、金一封の差し入れが飾ってありました。
贈る役者の最後に「○○さんへ」の代わりに「○○丈江」という言葉を付けています。歌舞伎界の独特な言い方なのでしょう。

其のななじぅなな
市川猿翁さんは、体調不良のため舞台に立つことはありませんでしたが、息子の中車さんは、「元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)」で長い台詞を早口で…圧巻です。

其のななじぅろく
「児雷也(じらいや)」では、巨大ガマの出現、華麗に舞う2匹の蝶、スモークが炊かれ役者も観客も煙にまかれ・・・。片岡愛之助さんの端正な顔立ちが印象的でした。
役者さんの人数よりもはるかに多い和楽器を奏でる方たちの贅沢な音のボリューム、そして幕間で次のセットを準備する静かな、しかし多くの裏方の人たちの足音が聞こえると、
この歌舞伎の舞台は多くの人たちによって成り立っていることがわかります。

其のななじぅごぉ
「道行雪故郷(みちゆきゆきのふるさと)」の雪が降り続けるシーン、舞台裏では太鼓が一定の間隔で静かに刻み続けています。これは“雪が降っている様”を音で表しているのです。すばらしいですね。

其のななじぅしぃ
「猿翁十種の内 黒塚(くろづか)」では、「安達原の鬼女」に扮する市川猿之助さんの舞台上の激しい動きに釘付けとなりました。
強靭な足腰に加えて豊かな表現力は、幼少から培った稽古の賜物であり、その演技は会場を魅了していました。
私たちは、舞台から降りた歌舞伎役者のコメントを、テレビなどで観る機会がありますが、彼らの本質は、やはり“歌舞伎を演じている瞬間にあるのだ”と感じました。

其のななじぅさん
京都四条『南座』で吉例顔見世興行・東西合同大歌舞伎を観てきました。午後の部、415分開演。場内はすでにお弁当を広げた良い香りに包まれ…。そう、歌舞伎では客席で飲食できるのです。

其のななじぅにぃ
自宅稽古場で行っているワークショップに、聴覚障がい者の方が参加されました。以前、堺市の手話通訳をしていたことがあった私は、久しぶりに手話を使って話しました。
雑談の中,先日のマンデラ南アフリカ元大統領の追悼式典で、でたらめな手話をしていた人の話になり、
私が「あれはひどいね?!」と言うと、彼の考えはそうではなく「むしろ“手話”というものに光が当たったのでうれしい。」という感想でした。なるほど。

其のななじぅいちっ
別れ際に、「able(エイブル)の会」のスタッフの皆さんと記念撮影。いつまでもそこにいたくなるような、ステキな空間がありました。ありがとうございました。

其のななじぅ
東京で打ち合わせがあり、予定よりも早く終わったので、「able(エイブル)の会」東京事務局を訪ねました。
大慌ての末(内容はヒミツ)の美味しいコーヒーをいただきながら、映画撮影時のウラ話などして、楽しい時間を過ごさせて頂き…。

其のろくじぅきぅ
後日、「瑞宝太鼓」の高倉照一君と吉本結羽子さんからお手紙をいただきました。二人のあたたかい文章に、にっこりほっこり。お返事を書きました。

其のろくじぅはち
弾き終わった後、舞台から高倉君に呼びかけると、「ありがとうございました〜!!」と大きな返事が返ってきました。その声に、会場も一気に和んで…。

其のろくじぅなな
高倉君が来てくれたので、コンサートでは映画「幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜」より、彼の登場するシーンで使われた曲を私のピアノとマルコの尺八で演奏しました。

其のろくじぅろく
昨年、24年ぶりに再会した元「鬼太鼓座(おんでこざ)」のマルコ・リーンハードと、先日神戸でコンサートをしました。
マルコとは、ボストン・シンフォニーホール公演から25年ぶりの共演でした。「瑞宝太鼓」副団長の高倉照一君とスタッフの吉本結羽子さんが、わざわざ長崎から観に来てくれました。

其のろくじぅごぉ
翌朝、ホタルがいるか昨夜飛んでいた辺りを探すと、一匹だけ葉の裏にしっかりしがみついていました。明るいところではなかなか見つからないという話、本当でした。

其のろくじぅよん
映画の中で「瑞宝太鼓」副団長の高倉君が、禊(みそぎ)をした黒川に、今年もゲンジボタルが飛び出しました。
例年にないくらいの光の乱舞に、特等席からいつまでも眺めています。……と書いて、一年ぶりの更新に気がつきました。

其のろくじぅさん
「瑞宝太鼓」副団長の高倉君が、映画の中で禊(みそぎ)をした自宅横を流れる黒川には、今年もゲンジボタルが飛び交っています。
一方、数日前から九州各地を襲っている集中豪雨により、氾濫、決壊している河川、家や車が流されていく映像を見ると、同じ川とは思えません。
これ以上雨が降り続くことなく、そして被災された方たち一人一人の心の傷が癒されますよう・・・。

其のろくじぅにぃ
フラメンコの公演を観に行きました。ギターと歌と踊りが見事に合ったすばらしい舞台でした。早い手拍子で刻む8分の12拍子の裏拍に、足のステップでリズムを合わせていく・・・。
スペインで生まれ育たないと、これは絶対に出来ないぞ、と思いきや、メンバーの中に日本人の女性がいたんです。和太鼓も、海外の人たちが演奏するのが珍しくなくなりました。
国境を越えた迫力あるパフォーマンスに拍手。

其のろくじぅいちっ
今も刑務所で慰問演奏を続ける「瑞宝太鼓」。かつて障がい者をいじめたことがある受刑者が、彼らが太鼓を打っている姿を見て、当時を反省し更生する気持ちが芽生えたそうです。
塀の外に出た人は、もう2度と塀の中で彼らの演奏を聴くことのないように・・・。私は「鬼太鼓座(おんでこざ)」の頃、ボストンの刑務所で一度だけ慰問演奏で太鼓を打ったことがあります。

其のろくじぅ
映画に関わることで、ダウン症の人たちにお会いすることがありました。話していると、本当にあたたかい心の人たちと言いますか、もうそれがにじみ出てますもん。
心を開けば、答えてくれる・・・。癒されます。

其のごじぅきぅ
小学校の同窓会に行ってきました。会場にはピアノがあり、私がちょっと何か弾くみたいなことになりましたので、同窓生と恩師の前で、
「幸せの太鼓を響かせて〜
INCLUSION〜」の中から1曲披露させていただきました。リラックスして弾けばいいのに、こんな時に限って手が震えるんです。

其のごじぅはち
「瑞宝太鼓」に限らず、私の指導先では「ひとつの太鼓には多くの音色がある。」ということを生徒たちによく言っています。「ドン!」だけじゃないということです。
タン、カン、コン、トン、クン、タ、ツン、ケン・・・。太鼓の面、いろんなところ 打ってみる ・・・路傍

其のごじぅなな
「鬼太鼓座
(おんでこざ)」の拠点が佐渡島から雲仙・小地獄に移った80年代半ば、私は入座しました。
同じ頃に入座したフルマラソンを2時間
20分台で走る山本茂君に追いかけられながら、島原半島の海岸線での20キロ走や、小浜温泉から雲仙の温泉街までを走ったりしていました。
「瑞宝太鼓」の稽古場が同じ雲仙にあるということも、何かの縁だったのでしょう。映画ロケで訪れた雲仙の普賢岳の雄大な景色を見ながら、背筋がスっと伸びる思いがしました。
私の和太鼓の原点となった地です。

其のごじぅろく
田耕
(でん・たがやす)は、佐渡島で「鬼太鼓座(おんでこざ)」を旗揚げしました。中国の格言に「最初に井戸を掘った人間は忘れない。」とありますが、私にとって、まさに田さんはそんな存在の人です。
田さん率いる「鬼太鼓座」との出合いがなかったら、おそらく和太鼓奏者にはなっていなかったでしょうし、「瑞宝太鼓」を指導することもなければ、映画に関わることもなかったでしょう。
田は数年前、不慮の事故で亡くなりました。「田さん、今も太鼓打っていますよ。」時々ふっとそんな言葉を・・・・・・言ってないなぁ。

其のごじぅごぉ
「鬼太鼓座
(おんでこざ)」で苦楽を共にした山本茂君から、久しぶりに電話がありました。彼はハワイ島で、ツアーガイドの仕事をしています。野生のロバをつかまえて、飼っているそうです。
たわいもない話を
30分ほどしましたが、ただそれだけなんですが、めちゃくちゃ元気になりました。ハワイ島に行った折にはぜひ、アナログな山ちゃんに会ってみて下さい!

其のごじぅよん
「第
9回東京国際和太鼓コンテスト」に出場し、見事「優秀賞」を受賞した「瑞宝太鼓」のメンバー。この「優秀賞」は国際コンテストなので、「世界第2位」ということになります。
コンテストは、「課題曲」と「自由曲」の
2曲を実際に演奏することで審査されます。楽譜が読めるようになった彼らは、本番でもひるむことなく太鼓を打ち、栄冠をつかみました。
健常者、障がい者問わずのコンテストでの受賞は、さらなる自信につながりますね。

其のごじぅさん
八神純子さんのコンサートに行ってきました。彼女は人には言えない苦労があった時、上を向くと笑っている自分の顔が見えたそうです。
「瑞宝太鼓」のメンバーの中には、過去にいじめや苦労した人もいます。人はそんな経験をすると下を向いてしまいがちですが、そんな風に前向きに生きたいですね。

其のごじぅにぃ
東京赤坂・草月ホールでの「瑞宝太鼓」の「漸進打波
(ぜんしんだは)」のお披露目コンサート。
公演終了直後、舞台袖にこのホールで古くから裏方をされている方がやって来て一言、「あいつらの太鼓を見ているとよぉ、なんだか泣けてくんだよなあ。」
そして両手で私の手を握り、涙されました。べらんめえ調で、いいじゃありませんか!

其のごじぅいちっ
「幸せの太鼓を響かせて〜
INCLUSION〜」の総指揮をされた細川佳代子さんとは何度となくお会いしましたが、佳代子さんのご主人の細川護熙氏にも京都でお目に掛かる機会がありました。
私と同様、氏も田舎暮らしをされていて、シイタケの原木栽培の楽しさや、ムカデに噛まれたことなど、話に花が咲きました。
そういえば昨年仕込んだシイタケ、まだ原木から
1本も出ていません。

其のごじぅ
「瑞宝太鼓」の団長・岩本友広さん朋子さんご夫妻が立派に自立し、子どもを産んで育てている様は、同じ障がいを持つ人たちの憧れだそうです。
「コロニー雲仙」には“世話人さん”と呼ばれる人が、彼らの生活の手助けをしています。健常者と障がい者が力を合わせて生きる、そんな世界。

其のよんじぅきぅ
「障がい者」と言ってもそれぞれの状況も程度も違いますし、それを個性ととらえるなら、彼らを一様にそう呼んでしまうのに若干の抵抗があります。
ところで以前は「障害者」と書きましたが、今は「害」の字をひらがな表記する場合が多いようです。私もそのようにしています。

其のよんじぅはち
「瑞宝太鼓」の団長・岩本友広君の愛息・裕樹君、集団行動は少し苦手のようですが、ミニ太鼓やチャッパ代わりの灰皿を打ち鳴らす時には、目が輝いていて別人のようです。
そして“演奏”終わりにいつも大声で言う「ありがとーございましたぁ〜!!」これがとってもいいんです。
でも裕樹君には、映画の中でしか会ったことがありません。いつか目の前で、彼の演奏終わりの“あいさつ”を是非聞いてみたいです。

其のよんじぅなな
映画にも登場したフランス鴨のバリケン。朝、降りしきる雪を背中に載せながら、川岸でじっとしています。
私を見ると「トトト」とやってきて、いつものように餌のドッグフードを食べていました。夜はどこかに移動しているようですが、その場所は謎です。
そういえば、撮影時よりも太ってさらにパワーアップしたようです。食べ頃!?なんでやねん!!

其のよんじぅろく
今朝起きると、外は大雪。「瑞宝太鼓」の高倉照一君が禊
(みそぎ)をするために飛び込んだ、映画でも登場するあの川の辺りも、水墨画のような美しい景色となりました。
でも撮影の時には、クリスマス頃だったのに雪は全くなかったんですね。今のロケーションだったら、確実に寒さが観客に伝わるのに・・・。
ちなみに彼は
2日連続で寒風吹きすさぶ中、禊をしていました。その時の気温はマイナスでした。恐るべし高倉君!

其のよんじぅごぉ
先日、厚木市文化会館にて行なわれた自主上映会の後、小栗謙一監督とともに登壇しました。
1時間15分という長時間の中、映画に関わったエピソードなどをお話しました。
小栗監督がとなりにいて下さって・・・本当によかった!理路整然とした監督の話と、そうでない私の話がうまく重なり、大成功?!・・・だったことを切に祈ります。
最後に花束をいただきましたが、渡してくれた女性の方が舞台上で、「
(映画の)ピアノ、めっちゃよかったでぇ〜。」と、なぜか大阪弁で言ってくれました。
そのコメント、数日前から一生懸命練習してたんかな。

其のよんじぅよん
神戸・アートビレッジセンターにて、映画「幸せの太鼓を響かせて〜
INCLUSION〜」上映後に、舞台挨拶させていただきました。
その後、同センターに新しく着任された館長さんとお話していると、彼は私と同じ大阪芸術大学出身で、さらに同学年だったことが判明。ローカルな話に花が咲き、楽しかったです。
727日付の神戸新聞「県内版」に映画の記事が掲載されました。

其のよんじぅさん
長崎弁では助詞の使い方が、こちらとは少し違います。「机が動く」というのを長崎では「机の動く」と言い、「の」を少し強めに発音します。
映画を観た人なら、わかりますよね。この言い回し、最近マイブームでよく使っています。

其のよんじぅにぃ
「瑞宝太鼓」の指導者である福岡心治朗先生。当初お話していると、何となく私の方が話している時間が多いな・・・と感じていました。
特に電話で話している時は顕著で、「何でかな?」と思っていましたが、やがてその理由がわかりました。
話し方に“独特な間”がある福岡先生に対して、大阪もんでセッカチの私は、「それを待てずに“ツッコミ”を入れてた!」ということです。
次にお会いする時は、福岡先生との“間”を楽しみたいと思います。

其のよんじぅいちっ
お笑い芸人のマネをするのが大好きな、撮影隊ビリーブ・クルーの川口弘樹君。
小栗謙一監督第
3作目の映画「ビリーブ」の表紙にもなった彼は、その映画の中でもモノマネをしているシーンがありましたね。
こちらでロケした時も、ギャグ連発!ほんまに好きなんやなあ。

其のよんじぅ
自宅で合宿した時、稽古が終わって私の運転する車で近くの温泉に行く途中、当時コマーシャルで流れていた小田和正さんの替え歌を歌ってくれた撮影隊ビリーブ・クルーの和田勇人君。
♪じしょ〜やさんに〜会えてよかったあ〜本当に〜よかったあ〜うれ〜しくって〜うれ〜しくって〜♪・・・・・泣!

其のさんじぅきぅ
島田正志君と吉本結羽子さんは、「瑞宝太鼓」を支えるすてきなスタッフです。
「瑞宝太鼓」の公演で、
2人の“かけ合い漫才もどき”を観ましたが、もうハチャメチャと言いますか、手癖のつかないしゃべりは必見です。関西人の私が太鼓判押すんやから、まちがいない?
新曲「漸進打波
(ぜんしんだは)」の完成には、2人の陰のサポートがありました。

其のさんじぅはち
会えば、いきなり私のモノマネをしてくれる、団長の岩本友広君。「ホンマに〜、そこちゃうねん。ホンマにぃ〜。」
そして携帯電話に入っている愛息“今日の裕樹君”の写真を見せてくれます。かわいいねぇ!
(まだ会ったことないけど。)

其のさんじぅなな
うちで合宿した時、稽古場の前でずっと大仏のマネをして座っていた、おちゃめな山下弾君。
ステージでの動き方を練習している時、マイケル・ジャクソンもびっくり?!のムーン・ウォーク風の歩き方で下がって行きました。その発想が、すごい!

其のさんじぅろく
「瑞宝太鼓」の川崎拓也君。ずっと続けている筋力トレーニングの効果も出て、最近は一段と腕がたくましくなりました。
普段あまりしゃべらずニコニコしている川崎君の“めちゃめちゃハジけた姿”を一度見てみたいです。どんなんやろ。

其のさんじぅごぉ
副団長の高倉照一君は、映画での裕樹君
(岩本友広団長の愛息)とのやりとりを観てもわかるように、心のやさしい好青年です。
稽古が終わった後、高倉君はその場のアドリブで作った声明のような“ふしぎ歌”を
3曲も熱唱してくれて、おなかがよじれそうになるくらい笑いました。

其のさんじぅよん
「瑞宝太鼓」の辻浩一郎君は、私が趣味で集めている古文書や明治時代の尋常小学校の教科書を見せ、読み方を教えると、どんどん読めるようになっていきました。
その吸収するスピードの速さはスゴかった!真面目な辻君でした。

其のさんじぅさん
中村慶彦君は「瑞宝太鼓」の研修生でしたが正団員に昇格し、「漸進打波
(ぜんしんだは)」では3台の大太鼓のセンターを担当しました。
こちらで合宿した時、鶏の照り焼きをすごい勢いで、めっちゃたくさん美味しそうに食べてたなあ。ん?でもそういえば、なんか嫌いなものがあったなあ。そうや〜、トマトや〜!

其のさんじぅにぃ
森田祐司君も「瑞宝太鼓」の研修生。初めて稽古場で会った時、彼は公演のチラシを折っていました。「こんにちは」と声を掛けると下を向いたままで、ちょっと恥ずかしがり屋さんという印象・・・。
でも、私が雲仙を離れる日、
3回ハグしてくれたのも森田君でした。

其のさんじぅいちっ
川原慧介君は、現在、「瑞宝太鼓」の研修生です。当初、研修生はまず練習を見学する、ということだったらしいのですが、私は「一緒に叩こう。」と言いました。
太鼓を打ち始めた瞬間、とてもうれしそうな顔になった川原君を今でも覚えています。
「時勝矢さん、今日は本当にありがとうございましたっ!!!」と、その日は朝から私の顔を見ては何度も何度も言ってくれました。

其のさんじぅ
いつも全開のパワーで太鼓を打つ「瑞宝太鼓」のメンバー。朝一番の稽古でも、打ち始めて
10秒でマックス状態に!!
締太鼓を打ちながら
叫ぶ、叫ぶ!私は普段、そんな稽古はしません。でも彼らと一緒だと・・・出来るんだなあ。

其のにじぅきぅ
「瑞宝太鼓」のメンバーは、本当に仲がいいんです。出来ない人のところへすぐに飛んでいき、一緒に太鼓を打ちます。
お昼ごはんは、おしゃべりタイムでもあり、長崎弁で「なんしよっとよ。」「そうね、なんね。」んなことをいいながら、気がつけばお互い肩を組んで笑っていたり。
この結束力が、「瑞宝太鼓」の良さなのです。

其のにじぅはち
私が「関西フィルハーモニー管弦楽団」の客演奏者だった頃、小林研一郎氏が指揮者として来られたことがあります。
リハーサルから髪を激しく振り、情熱的に指揮をされていた姿を思い出します。
20数年経って、まさかソリストで共演できるとは思っていませんでした。それも“和太鼓”で・・・。

其のにじぅなな
「風の祭」という「瑞宝太鼓」が出演した長崎の野外フェスティバル会場には、ショウリョウバッタやトノサマバッタなどイナゴの何倍もある大きさのバッタがいました。
捕まえて、撮影隊ビリーブ・クルーの宮崎亮太君に見せると、驚いて逃げていってしまいました。嫌い? かわいいで。

其のにじぅろく
都内で行われた『日本フィルハーモニー交響楽団・創立
50周年』の記念公演に出演させていただき、その時の指揮者であった小林研一郎氏とともに、そのまま名古屋フィルとも共演。
そして、熊本県立劇場で行われた「コバケンとその仲間たちオーケストライン・スペシャルオリンピックス熊本」
(コンサートマスターは大阪フィルの長原幸太氏)にも出演させて
いただいたことが、細川佳代子さんとの出会いにつながり、その時の演奏が小栗謙一監督の目に留まり、その後何年か経って、今回の映画に関わらせていただくこととなりました。

其のにじぅごぉ
「瑞宝太鼓」の稽古場を出て少し坂を上ると、有明海が見えます。それは、新曲「漸進打波
(ぜんしんだは)」のイメージそのものでした。
山と海に囲まれた大自然の中で、思い切り太鼓を打ててうらやましい・・・!うらやましい?なにをなにを、私の稽古場も同じです。
ま、こっちは山と川やけど。  田舎バンザイ!
(本日[201167日付]の朝日新聞朝刊に、映画の記事がカラー掲載されています。)

其のにじぅよん
初めて「瑞宝太鼓」の稽古場を訪れた日、大型台風が日本を直撃したため、飛行機をキャンセルし自家用車でお伺いしました。
当然、高速道路はどしゃ降り。ワイパーを最速にしても前方が見えにくい状況に。ハイエースはハイルーフのバンで高さが
2m30pあって、強い横風が吹くと右へ左へふ〜らふら。
仕方なく平均時速
6070キロで走行・・・、一人で兵庫から〜〜〜〜〜〜長崎、遠いわー!!

其のにじぅさん
「瑞宝太鼓」のメンバーと近所の温泉に行きました。副団長の高倉照一君は、よく岩永和昭先生の背中を流していたそうです。「こら〜、もっと強くこすらん、か〜。」
「先生はいつも言いよっとです。」などと言いながら、高倉君は私の背中を一生懸命こすってくれました。
岩永先生を感じつつ、うんうん・・・次の日から
3日間、もう、息出来ひんくらいメチャメチャ痛かったでぇ!

其のにじぅにぃ
岩永和昭先生が他界されて、「瑞宝太鼓」のメンバーは心にぽっかりと穴が開いたようで、しばらくは意気消沈していたそうです。
(福岡心治朗先生談)
そんな時に映画の撮影のため、私が彼らの稽古場に行くことになり、違った角度から大阪弁を交えての稽古は、彼らに“新しい風”となったようです。もちろん、私の中にも風が吹きました!

其のにじぅいちっ
撮影に入る前に、「瑞宝太鼓」を指導されている福岡心治朗先生にぜひお会いし、ご挨拶したいと思っていました。
指導者がいるプロのグループのところに、外部の人間が「指導します。」と言って乗り込むわけですから。私が逆の立場だったら、複雑な気持ちになりますからね。
しかし、福岡先生は快く受け入れて下さいました。岩永和昭先生の志を継いで太鼓を始められたご子息にお会いできたのも、私の存在を知ってもらうにはよかったと思っています。

其のにじぅ
長年「瑞宝太鼓」の指導をされていた岩永和昭先生は、私が「瑞宝太鼓」と出会う少し前に急逝されました。副団長の高倉照一君からの話では、生前の指導は大変厳しいものがあったそうです。
そのご苦労が大変なものだったことは想像に難くなく、岩永先生の指導のベースがあったからこそ、今の「瑞宝太鼓」があるのだと思います。
雲仙に滞在中、氏が代表をされていた深江太鼓の練場を訪ね、岩永先生の息子さんたちと一緒に太鼓を打ちました。すてきなひと時でした。

其のじぅきぅ
和太鼓の創作曲では、同じリズムを揃えて打つ、というスタイルが割りと多いのですが、新曲「漸進打波
(ぜんしんだは)」は、6人がそれぞれ異なった演奏をします。
それだけ曲の難易度は上がるので大変なんですが、パズルを組み合わせるような楽しさもあり、完成した時の満足度はその分高くなります。・・・みんな、がんばるのだ!
むつかしい・・・? 気のせいや。

其のじぅはち
「瑞宝太鼓」の新曲「漸進打波
(ぜんしんだは)(作曲:時勝矢 一路)
「漸進」・・・無理をせず、順を追って進むこと
「打波」・・・社会の進展の妨げとなっている因習・偏見や根強い障害を取り除くこと
※本来は「打破」ですが、「瑞宝太鼓」の稽古場から見える有明海の波をイメージして、「打波」としました。

其のじぅなな
「映画のラストシーンに。」と小栗謙一監督から依頼されて、新曲「漸進打波
(ぜんしんだは)」を「瑞宝太鼓」のために書き下ろしました。
知的障がいを持つ人が対称なので誰でも打てる曲を、と普通は考えますが監督は違いました。「出来なくてもいいんです。レベルは落とさずにぜひ難曲を!」

其のじぅろく
ドキュメンタリー映画なので、撮影中、小栗謙一監督からはこうして欲しいという指示は一切ありませんでした。台本がないんですね。だから、撮影中は私に話しかけてこられない。
その結果、自由にできました・・・自由すぎました?出来上がった映画の私が指導しているシーン、穴があったら入りたい心境ですっ!

其のじぅごぉ
練習曲「三寶和音
(さんぼうわおん)」での、口唱歌の稽古もかなり慣れてきました。
そして松ちゃん、竹ちゃん、梅ちゃんの
3パートが徐々にひとつになり、口で演奏する楽しさにみんながハマリ出すと、それからはもぉ〜カエルの大合唱のよう。
♪どこどんばらばらてんてんよかったすててこ、すててこすてんがでこすかずこんこどんどん!!どどどどど!♪
あっちからもこっちからも口唱歌
(くちしょうが)が聞こえてきます。リズムを口で表し、教え伝えることを考えた、昔の人の知恵に敬服。

其のじぅよん
お昼になると近くの施設から、稽古場に手作り弁当が届きます。「瑞宝太鼓」団長、岩本友広さんの奥さんの朋子さんもそこで働いています。
煮抜き卵、唐揚げ、マカロニサラダ・・・心のこもったお弁当、毎日メニューが変わるのが楽しみでした。

其のじぅさん
顔が近いっ!
当初、「瑞宝太鼓」のメンバーと話していると、何かしらの違和感があった理由がこれです。
彼らは私が話している時に、その“集中力”のせいでしょうか、どんどん私との間隔が縮まり、気がつけば至近距離で囲まれている状態に。
傍から見れば「なんやオっちゃん、からまれてんのん?」のように見えますが、決してそうではありません。一生懸命、私の話を聞いてくれる「瑞宝太鼓」の面々、カワイイです。

其のじぅにぃ
「瑞宝太鼓」の指導者である福岡心治朗先生曰く、「集中力があるのは彼らの特性でもあるんです。」
そうなんですか・・・。
「時勝矢さんは、よく障がい者のことをわかっておられる。」と、なぜかお褒めの言葉をいただきましたが、何十年も彼らとともに過ごしてきた福岡先生にはかなうわけありません!

其のじぅいちっ
「瑞宝太鼓」のすごいところ。これは、先日都内で行われた試写会の後の舞台挨拶でも話しましたが、“脅威の集中力”です。
雲仙の稽古場では、長時間太鼓を打っても、彼らの集中力は途切れません。「は〜い、じゃあ休憩します。」  ♪ドンドコドコドン ドコドコドコドン♪
・・・って、休憩してよ!

其のじぅ
次は、締太鼓を使ってのリズムの確認。これは健常者、障がい者に関わらず、個人個人の演奏には“クセ”があるということです。
「瑞宝太鼓」のようにずっと太鼓を打ってきた人たちにとって、バチの動きを矯正するのは初心者よりも大変です。頭ではわかっていても難しい、でも、がんばろう。

其のきぅ
稽古をしているうちに、「瑞宝太鼓」のメンバーはどうもお笑いが好きだということに気付き、「あかんやん、もう一回・・・なんでやねん、ちゃうっちゅうねん!」
関西芸人のように言うと、ゲラゲラ笑います。よっしゃ、大阪弁でいくか、と今後の指導方針がこの時に決まりました。

其のはち
「三寶和音
(さんぼうわおん)」の楽譜を前に“キョトン”としている彼らに、間髪入れず口唱歌(くちしょうが)で何度も口ずさんで、体にリズムを染み込ませます。
「ドンドン バラバラ天天 よかったな!」 音符の上には全て
RLが書かれてあります。Rは右手、Lは左手です。

其のなな
「三寶和音
(さんぼうわおん)」と題した、「瑞宝太鼓」のためのオリジナル練習曲。副題は「がんばれ松竹梅!」。
この練習曲は“松ちゃん”“竹ちゃん”“梅ちゃん”のパートに分かれていて、
3人が一緒に演奏して始めて曲になるというものです。できるかな?

其のろく
彼らの太鼓を打つ能力は、それまでの豊富な舞台経験もあり、思っていた以上でした。
しかし、「すばらすいっ!」と褒め称えているだけでは、ここに来た意味がありませんので、演奏に感動しつつ、これから何をするべきか必要なものを探し出し始めました。
そこで用意していた練習曲を「瑞宝太鼓」のメンバーに渡しました。

其のごぅ
「瑞宝太鼓」のみんなに初めて会った日、お互い笑顔になりすぐに打ち解けることができると、知的発達障がいを持つ人たちに接するのだ、という不安もなくなり、
はやく一緒に太鼓を打ちたくなりました。そして稽古開始!もちろん小栗謙一監督のカメラは回っていますが、稽古が楽しくて、映されているプレッシャーも消えていきました。

其のよん
読売新聞・朝刊の一面『編集手帳』に映画のことが掲載されたというので、
(2011529日付) さっそく往復18キロかけてそのコンビニに買いに行きました。
家に帰ってゆっくりと読んで、その新聞をテーブルへ置いて・・・しばらくしてもう一度読み返そうと・・・「!!」朝、トーストに塗ったバターが新聞についとるやないか〜い!
一応
2部買っていましたので・・・・・・そういう問題とちゃうやないか〜い!そういう問題やろ。  ガクッ

其のさん
雲仙の「瑞宝太鼓」の稽古場は山の中腹にあり、そこからは有明海が、振り返ると普賢岳が見えます。近くで牛を飼っているのか、時々そのにおいが。
ふんふん♪  「こんな田舎でなんにもありません。」と指導者の福岡心治朗先生は言います。私は心の中で、「こっちの方が田舎やし、自宅からコンビニまで片道9キロもあるし。」
えっ、時勝矢さんところ、そんな田舎なん?そうやで、好きで住んでんねん、ほっといて。

其のにぃ
平山浩二君は露天風呂に行き、先に入っていたおじいさんとなにやら話しています。浩二君は人懐っこい性格なので、たぶんおじいさんには彼から話し掛けたのでしょう。
こちらから見ていると、
2人はとても楽しそう。おじいさんは笑顔で浩二君に何か言うと、先に露天風呂からあがりました。浩二君、明日もよろしくどうぞ。

其のいちっ
初めて長崎雲仙にある「瑞宝太鼓」の稽古場を訪ねた日の夜、稽古が終わり、汗を流しに撮影スタッフ・ビリーブクルーの平山浩二君と宮崎亮太君と一緒に、近くの天然温泉へ。
私と亮太君は内風呂に浸かって、疲れを癒しました。湯加減がちょうどよく、稽古の疲れがゆっくりとれていくよう・・・。
亮太君が私の肩をそっとたたいて「今日は、よくがんばりました。」と言ってくれました。


                                     

本ホームページの記事、写真等すべての記載内容についての無断転載を禁じます。
この
HPはリンクフリーではありません。
©1991-2024 ICHIRO JISHOYA & JDO ICHIRO(Japanese Drums Orchestra ICHIRO). All Rights Reserved.